明治神宮②
2013年 07月 05日
☂後☁今日は、風が強くて、嫌な天気です。昨日、お出かけしてよかった!
さて、明治神宮の続きです。
南参道と北参道の出合い口のところにある大鳥居(第二鳥居)。
高さが12メートル、幅が17.1メートル、柱の太さが直径1.2メートル、重さが13トンもあり、木造の明神鳥居としては日本一の大きさを誇っています。この大鳥居は二代目。一代目の大鳥居は明治神宮が創建された大正9年に完成しました。この鳥居の材木は檜(ヒノキ)ですが、国産の檜ではなく台湾産です。明治神宮御造営の時に台湾総督府より献木されたもので、阿里山の西腹より伐採されたそうです。樹齢は1200年以上に達していたといわれます。ところが昭和41年に右側(北側)の柱に雷が落ち破損してしまいました。やはり、国産では、これだけの材木は用意できず、同じ台湾の阿里山から持ってきたそうです。
明治天皇と昭憲皇太后の御歌。
この御歌の前で中華圏の観光客が写真をっとっている姿を見ました。
さあ、いよいよ本殿です。
神宮本殿は大東亜戦争末期の1945年(昭和20年)4月、アメリカ軍による空襲によって焼失してしまいました。その後全国から復興資金が寄せられ、仮殿が建設されて翌1946年(昭和21年)5月に還座祭が行われました。現在の本殿はその後、国内外からの寄付などによって造営が進められたもので、還座祭は1958年(昭和33年)10月31日に行われたそうです。
初詣は日本一の人手で賑わいます。そういえば、私、7歳の七五三のお祝いは、ここ、明治神宮でやりました。すごい人だったことを記憶しています。
結婚式や、お宮参りなども行われるんですね。
向かって左手の方向・・・。うっそうと木が生い茂っています。
ここをくぐって、社殿のもっと奥にある、宝物殿へ向かいましょう。
久しぶりの森林浴・・・樹木の匂いがします。
人通り全くなし・・・まあ、こんなオバサンが襲われる心配も無いでしょう。
ぱっと、視界が開け、見えてきました。
すごい、芝生がまぶしい・・・!
しかし、残念ながら宝物殿は土日祝日のみ開園だそうです。あまり、人が来ないのかなあ。奈良の正倉院の校倉造りを模した校倉風大床造りで、我が国初期の鉄筋コンクリート建築の代表的な建物です。
このあたりは、明治中頃まで、穏やかな田園風景がみられた場所なんですね。
さて、明治神宮はこれで終了・・・このあとは原宿へ・・・続く。
さて、明治神宮の続きです。
南参道と北参道の出合い口のところにある大鳥居(第二鳥居)。
高さが12メートル、幅が17.1メートル、柱の太さが直径1.2メートル、重さが13トンもあり、木造の明神鳥居としては日本一の大きさを誇っています。この大鳥居は二代目。一代目の大鳥居は明治神宮が創建された大正9年に完成しました。この鳥居の材木は檜(ヒノキ)ですが、国産の檜ではなく台湾産です。明治神宮御造営の時に台湾総督府より献木されたもので、阿里山の西腹より伐採されたそうです。樹齢は1200年以上に達していたといわれます。ところが昭和41年に右側(北側)の柱に雷が落ち破損してしまいました。やはり、国産では、これだけの材木は用意できず、同じ台湾の阿里山から持ってきたそうです。
明治天皇と昭憲皇太后の御歌。
この御歌の前で中華圏の観光客が写真をっとっている姿を見ました。
さあ、いよいよ本殿です。
神宮本殿は大東亜戦争末期の1945年(昭和20年)4月、アメリカ軍による空襲によって焼失してしまいました。その後全国から復興資金が寄せられ、仮殿が建設されて翌1946年(昭和21年)5月に還座祭が行われました。現在の本殿はその後、国内外からの寄付などによって造営が進められたもので、還座祭は1958年(昭和33年)10月31日に行われたそうです。
初詣は日本一の人手で賑わいます。そういえば、私、7歳の七五三のお祝いは、ここ、明治神宮でやりました。すごい人だったことを記憶しています。
結婚式や、お宮参りなども行われるんですね。
向かって左手の方向・・・。うっそうと木が生い茂っています。
ここをくぐって、社殿のもっと奥にある、宝物殿へ向かいましょう。
久しぶりの森林浴・・・樹木の匂いがします。
人通り全くなし・・・まあ、こんなオバサンが襲われる心配も無いでしょう。
ぱっと、視界が開け、見えてきました。
すごい、芝生がまぶしい・・・!
しかし、残念ながら宝物殿は土日祝日のみ開園だそうです。あまり、人が来ないのかなあ。奈良の正倉院の校倉造りを模した校倉風大床造りで、我が国初期の鉄筋コンクリート建築の代表的な建物です。
このあたりは、明治中頃まで、穏やかな田園風景がみられた場所なんですね。
さて、明治神宮はこれで終了・・・このあとは原宿へ・・・続く。
by youmei88
| 2013-07-05 21:07
| お出かけ