品川大名屋敷⑤他戸越へ藩邸跡と戸越
2014年 06月 07日
☂雨の東京です。憂鬱ですね、洗濯物も乾かないし。
さて、大名屋敷めぐりも今日でおしまいです。
大和柳生藩柳生家下屋敷跡(現谷山公園)。
今は見る影もありませんが、代々将軍家に剣術指南をしていた、柳生家ですね。
播磨三日月藩森家上屋敷跡(現花房山通り歩道上)
こちらも、看板のみ。品川区内の大名屋敷の中で、唯一の上屋敷でした。
さて、今度は、戸越へやってきました。
ここ一帯は熊本藩主細川家下屋敷の跡地でした。
細川家は、ここに東海道五十三次の風景を借景しました。
水は仙川用水から引き、地泉をつくり、9年かけて、数奇屋造りの屋敷と庭園を完成させたそうです。鷹狩りや、茶会などを行う別荘風の邸宅であったとされています。
現在の門は台檜により平成3年より復元されたものです。
薬医門(正門)のいわれは医師の門として使われていたことからこう呼ばれていたようです。
戸越公園のそばの三井文庫
江戸時代から三井家にあった資料を納める書庫。大正11年に完成したそうです。関東大震災でも大きな被害がなかったそうです。
私は、品川区民ではありませんが、身近に昔を感じることが出来た1日でした。
さて、大名屋敷めぐりも今日でおしまいです。
大和柳生藩柳生家下屋敷跡(現谷山公園)。
今は見る影もありませんが、代々将軍家に剣術指南をしていた、柳生家ですね。
播磨三日月藩森家上屋敷跡(現花房山通り歩道上)
こちらも、看板のみ。品川区内の大名屋敷の中で、唯一の上屋敷でした。
さて、今度は、戸越へやってきました。
ここ一帯は熊本藩主細川家下屋敷の跡地でした。
細川家は、ここに東海道五十三次の風景を借景しました。
水は仙川用水から引き、地泉をつくり、9年かけて、数奇屋造りの屋敷と庭園を完成させたそうです。鷹狩りや、茶会などを行う別荘風の邸宅であったとされています。
現在の門は台檜により平成3年より復元されたものです。
薬医門(正門)のいわれは医師の門として使われていたことからこう呼ばれていたようです。
戸越公園のそばの三井文庫
江戸時代から三井家にあった資料を納める書庫。大正11年に完成したそうです。関東大震災でも大きな被害がなかったそうです。
私は、品川区民ではありませんが、身近に昔を感じることが出来た1日でした。
by youmei88
| 2014-06-07 17:40
| お出かけ